電通過労死自殺に思うこと:自分のことが大事であるという前提

お疲れ様でございます。

先日来、SNS等で話題となっております「電通新入社員過労自殺の労災認定」の件につきまして、連携させていただきます。

なんてちょっと社内メールっぽく始めてみたりなんかして。

「電通新入社員過労自殺の労災認定」の件とは

2015年のクリスマス、大手広告代理店電通に勤める新入社員の女性が24歳の若さで自ら命を絶ち、先日その自殺が過労による労働災害であると認定されました。

女性の自殺については、その事実について考えるだけでつらいものですが、個人的にはこの手の話題につきものとなってきた、その後のSNSで繰り広げられる断罪合戦が憂鬱でなりません。

電通の、若しくは日本の多くの企業の「従業員個人を顧みない体質」に問題があることは確かではあると思いますが、「会社が社員を殺した」「上司が部下を殺した」というような過激な表現を見るたび、結局はその断罪により自殺した女性の周囲にいた人を追い詰めるような「当事者個人を顧みない体質」は正に企業の問題点と変わらないのではないかと思うのです。

一緒に働いている同僚が元気をなくしていっている状況で、誰がその同僚の死を望むでしょうか。笑顔をなくしていく同僚を前にして、平気でいられる人がどれぐらいいるでしょうか。彼女がもはや受け入れられなかった「女子力がない」という男性上司からのセリフ、もし病的に見えた彼女に対するその上司の精いっぱいの声掛けだとしたら?

正直、嫌な気持ちになります…。

今回の件でいろいろ見ていたツイートやブログ記事で個人的に一番しっくりきたのがこちらの記事です。

電通社員の自殺を防ぐには「逃げろ!」と全力で言ってくれる人が必要だった | No.2宣言
「No.2宣言」のユージーンさんは過労で休職されたご自身の経験を踏まえ、精神的に疲れ切り冷静な判断ができない状態だったであろう彼女を誰かが無理やりにでも休ませてあげてほしかった、と書かれています。

ほんとにそうだ、と思うのと同時に、追い込まれていた彼女にはそういう人が周りにいなかったんだろうとも思います。

命を守るためにできるたったひとつのこと

そんな中、ブログ仲間の女の子の記事更新の告知が目に入りました。

クリスチャンであるあやめちゃんが今回のニュースに接して思ったことは「自分がクリスチャンであることを公言すること」でした。それにより、自分が神様の愛を伝えられる存在であることを公にすることができるんですね。

わたし自身は猫に対してぐらいしか信仰心はないのですが、今回ちょっぴりすさんだ気持ちの中であやめちゃんのブログ記事に触れ、「ああ、世の中の大部分の人は優しい人だ、声の大きな人に惑わされないようにしよう。」とほんわかしましたので、一社会人として常日頃思っていることをちょっと書いてみようと思います。

誰でも自分のことが大事

人間として生きていくには今も昔も人と関わることを避けては通れません。人間だもの。(みつを)

否、類人猿のみなさんも単独ではなく群れで生活したりして生きていますよね。これはもう人として生まれてきてしまった宿命ですね。

ただわれわれ人間の現代社会では、インフラが整い厳しい地球の自然環境の中でも快適に生活ができる反面、他人に依存することなしには生きていくことができず、他人との関わりが密接過ぎます。

ここで気を付けなければいけないことは、良い意味でも悪い意味でも人はみんな自分のことが大事だということ

自分のことが大事だから他人と協力して何かを成し遂げようともするし、自分のことが大事だから他人のことを顧みずに自分にとって正しいことをしようとする。

そんな中で生きていくうえで重要なのは「自分のことを大事に思うこと」

家族でない限り、社会に出たら誰も「自分」のことを大事になんてしてくれません。一番大事なのは自分なのだから当たり前のことです。

周りの人が自分のことを大事にしてくれていない気がする、と思ったら、まず自分が自分のことを大事にしましょう。だって厳しい環境の中、みんな自分のことを大事にすることで精一杯なんですもんね。

最近勤め先で正社員の25歳の女の子が依願退職しました。かなり急な退職だったため、常識がない、かわいく見えて意外と大胆だ、ゆとり世代だから、なんて陰で言われていました。が、わたしは彼女が真面目に仕事をこなしていた結果、多くのことを抱え込み、苦労をしていたことを知っていましたから、さっさとやめて良かったと思っています。

彼女が一人で仕事を抱え込んだことも、彼女の周りが自分を大事にした結果、彼女が急に退職をしたことも、彼女が自分を大事にした結果だと思います。誰が非難などできるんでしょうね。

自分にとっての青い芝を探す勇気

現代社会では人とのつながりが密接な分、他人の様子がよく見えます。そしてどうしても隣の芝は青く見えるもの。

今回の電通で働いていた女の子、とても優秀で頑張り屋さんだった様子。ニュースなどで抜粋されているものだけでなく、かなり遡ってツイートを見ましたが、プライベートでも若い女の子らしい悩みがあったり、また憧れの会社でやりがいのある仕事、優秀な同僚・先輩に囲まれて、全く絶望しかないという状況とは見受けられませんでした。

アカウントを知っていたらフォローしていたかもと思わせるツイートの数々…さすが電通!と思いながら読ませていただきましたが、その投稿したご本人がこの世にはいないということだけがつらい。

彼女の心の中でなにがあったのか、わたしには知る由もありませんが、死にたいと思ったということだけはわたしにもわかる確実なことです。もしそう思ってしまった原因が過酷な労働にあったのなら、いくら憧れの職場であったとしても、そこから離れる選択肢を持っていてほしかったです。

東京大学を出て電通に就職した状況から離れることは、平々凡々とくらしているわたしからは恐らく想像もつかないくらい大変なことなんだと思います。これまでの人生は何だったのかと思うかもしれません。

ただ、いくら恋い焦がれた初恋の相手であっても思いが通じないことってありますよ。

それは、自分が劣っているからではなく、単にその相手に合っていなかったからに過ぎません。タイミングが悪かった、相手が求めるような魅力が自分にはなかった、付き合ってみたけど思っていた人と違っていた…等々。

自分以外の人を見て、キラキラしているな、と思う。自分もあんな風にキラキラしたいな、と思う。けど、同じキラキラが自分に合うとは限りません。

そして、キラキラしているように見えている他人も、どろどろとした気持ちを抱えながら他の人を見て「自分もキラキラしたい」と思っているかも。ほんとの他人の内情など誰にもわかりません。

今までの価値観を見つめ直す恐怖を乗り越える勇気を

イケダハヤトさんは東京から高知の過疎の村へ移住し、少ない収入でも満足して暮らしていける方法を探している方です。きれいな景色、おいしい空気、人に縛られず自分で生きていく生活。

ただ、その為には都会の何でもすぐに手に入る生活、いろんなおしゃれで流行りのお店がすぐ近くにある生活、刺激的なたくさんの人たちと関われる生活、そういう一般的に幸せと思われている価値観は捨てる必要があるかもしれません。

ですが、その価値観はほんとうに自分に幸せをもたらしてくれるものなのか、もしかすると隣の芝生に過ぎないのではないか

そこに気づくことはとても恐ろしいことかもしれませんが、自分で命を絶つことの恐ろしさには敵わないと思います。もちろん、イケダハヤトさんのような生活も隣の芝生であることには変わりはありませんが。

自分で自分の身を守るということ

「No.2宣言」のユージーンさんのおっしゃるように、最終的には誰かそばにいる人が助けてあげてほしいと思います。ただ、冷静な判断ができないような状態にならないために、先ずはいつも自分を大事にすることを考えてほしいとも思います。

それぞれが自分のことを守ることで精一杯の世の中で、だれも他人のことなど助けてはくれません。自分の身を守れるのは自分だけ。

社会の仕組みや会社の組織などを批判することは簡単ですが、そこを変えていくには自分のことで手いっぱいの多くの人たちが関わっているのですから、大変な労力や時間がかかります。

なにより、自分の命を守ることを人任せにしていていいのか、とも思うのです。

夏の暑さや冬の寒さから守られ、食べ物は簡単に手に入り、病気やけがをすればすぐに治療をしてもらえる。そんな生活が当たり前になると生きていくことの大変さは目に見えにくくはありますが、それは形が変わっただけで命の危険なんかどこにでもあるのです。

ABOUTこの記事をかいた人

大阪北部に生まれ育ったのんびり屋です。
わたしが実際に、

*訪れてみた場所・お店
*食べたり、使ってみたもの
*ぼんやりと思った気持ち

などなどを好き勝手につづっています。

さらに詳しいプロフィール

2018年度阪急電鉄阪急電鉄『ブログdeバーチャル駅長』コーナーで阪急沿線のことについて紹介するブログを書かせていただきます。

2017年2月20日、有名ブロガーさんが発行する合同メルマガ『EdgeRank』へ寄稿させていただきました!
また、ライターとして月刊誌『CHINTAI 近畿版』にて、地域情報を紹介させていただいています!